Warning: Error while sending QUERY packet. PID=14520 in /home/uls/public_html/wordpress/wp-includes/class-wpdb.php on line 2349 阿弥陀海(笹子)から石和 - 街道を歩く旅

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2009.06.07

阿弥陀海(笹子)から石和・・・(甲州街道)

本日の万歩計44,477(28.89Km)

先週に続いて、街道歩きに来ることができた。笹子駅を9時に出発して、直ぐにJR線のガード潜り進んで行く。登山を目指すと思われる人達も5?6人が同じように出発して行く。
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しばらく、進むと頭に厚い笠のようなものを載せた「笠懸地蔵」がある。由来はハッキリしないようだが、領民を襲う大飢饉等の災害や苦渋の救済を心願して作られたものであろうとされている。そして、1Kmほど進むと臨済宗妙心寺派の普明禅院がある。江戸日本橋より25里とある。
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国道から左に別れ、平行した橋を渡り進んで行く。突き当たって道標を見ながら左折し「新田下」のバス停を過ぎて右折する。右折すると甲州街道の道標があるが、これでは入口を示す役には立たない。ともかく、笹子峠越えの旧街道が始まる。
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杉の葉が降り積もった路を1Kmほど進むと舗装道路に出るが、数百メーターで再び樹林間の道への入口がある。
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数百メーター進むと開けた場所に出る。ここは三軒茶屋跡で「明治天皇野立所跡」の碑がある。明治13年6月19日にご巡幸されたと顕彰の記と書かれた金属板に書かれていた。
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明治天皇巡幸碑を過ぎると、急に勾配がキツクなり、普段の運動不足を実感させられながらあえぎながら進んで行くと「矢立の杉」に到着する。「矢立の杉」は昔武将が出陣に際して矢を立てて武運を祈ったとされる杉で、根廻り幹囲14.80メートル、目通り幹囲 9.00メートル、樹高約26.50メートルと書かれている。
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中山道の「大湫の杉」は目通りが11.0m、樹高60mで、「矢立の杉」は大きさでは2番目であるが、木の中が空洞になっていて天が見えるのが特徴である。休憩できる東屋も造られているので、疲れた体を休めるのに都合が良い。健脚を誇る先輩も東屋で流石に疲れた風情だ。
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「矢立の杉」の直ぐ上には真新しい地蔵があるので、何だろうと見てみると、建立は昨年(2008年)で杉良太郎の歌う「矢立の杉」を記念して作ったようで、集まった浄財は「矢立の杉」の保存に役立てるとのことであった。ここで街道歩きは地蔵の前を右に進んで林道を進むのが無難な方法だが、元来の街道は左脇を進む。登山の様相の道で、いささか急峻だが、危険は無いのでゆっくりと進んで行く。「矢立の杉」までの道に比べて通る人が少ないのが、踏跡から見て取れる。
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急な尾根道を登り終えて林道に出て進むと、「笹子遂道」が見えてくる。286,700円掛けて昭和13年に完成したものだという。優美さの感じられる入口のデザインで平成11年には登録有形文化財に指定された。それにしても、3分で通り抜けられるこの遂道の完成以前は、上の峠道を30分ほど掛けて歩いていたとは、大変なことであったろうと思う。もちろん街道歩きとしては、当然トンネルの上の峠道を歩んで行く。なんと熊出没注意の立て札まである。
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峠は色々な方面への分岐点で、賑やかな道標が立っていた。我々は「かいやまと駅」方面に進むことになる。下りてゆくとトンネルを通る林道に出る。
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ふり返るとトンネルの出口が見えている。林道のガードレールが切れていて、林道をショートカットして進む歩行路に入って行く。
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延々と杉林の間の道を下って行く。上質な絨毯のように柔らかく気持ちが良いが、なかなか林道には出られない。お昼までには通り過ぎられると思っていたが、まだまだと思われたので、途中でいただいた「おにぎり」を食べて休憩した。
ようやく林道に出て、長い長い林道を進んで「駒飼宿」に到着した。宿場の面影はほとんど残っていないが、立派な庭木、太く曲がった松の木が僅かに宿場であったことを主張しているように感じる。そして、中央高速の下を潜れば、また国道20号線と再会である。
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国道にぶつかって左折するのが甲州街道だが、右折して「甲斐大和駅」の方に300mほど進んだところにある「うゑのや」という食堂に入って遅い昼食をとる。もう1時だ。
食事を終え1時30分に勝沼方面に出発した。直ぐに「鶴瀬宿」の杭があった。ここが鶴瀬宿の本陣跡である。やがて、国道は洞門とトンネルとなる。
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洞門を過ぎるとトンネルの左側に旧道があり、途中に左に延びる吊り橋がある。かつて集落の交通に利用された長垣の吊橋だが、車社会の到来とともに使われることもなく、今は、もう朽ちて通行は不能である。そして、昨年できたばかりの真新しい洞門が姿を見せた。
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道路の左側に「大和YAMATO」と書かれたモニュメントが見えてきた。ここが大和町と勝沼町の境界である。長い単調な国道歩きも終わりに近づき深沢の交差点を過ぎると、近藤勇の石像が建っていた。ここは、1868年3月6日に近藤勇の率いる甲陽鎮撫隊300と板垣退助率いる官軍3000が甲州勝沼の戦いとして激突したところである。官軍の圧倒的な火力に甲陽鎮撫隊はたちまち敗走して、近藤勇は江戸に逃げ帰った。その後、さほどの時も置かず、近藤勇は捕らえられ、板橋で露と散ることになった。
それにしても、この近藤勇の石像は漫画チックで、全く重厚さは感じられない。
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直ぐに、道路の左側に大善寺。ぶどう栽培の発祥のお寺という。しかし、境内に入るだけで入場料500円の商魂に嫌気がさして外から本堂を撮影するのみで通り過ぎた。
そして、上行寺前の交差点に到着した。午後3時である。ここから「勝沼ぶどう郷駅」に向い帰宅の途に着くか、先に進むか迷ったが、先に進んで「石和駅」に向うことにした。

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上行寺前から100mほど進んで上町の交差点を過ぎると、勝沼本陣跡の「槍掛けの松」が目に入る。大名や公家が本陣に泊まったときに槍を立てかけた松の木だという。少し進むと、古い2階建てと3階建ての蔵が残っていた。葡萄がもたらした富が窺える。
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明治30年代に勝沼郵便局舎として建てられた当時の洋風建築で、その後大正9年から昭和7年ころまで、山梨田中銀行の社屋として利用された建物に遭遇した。銀行当時のカウンターや時代を経た家具調度類。特にゼンマイ式の蓄音機で鉄の針で「夕焼け小焼け」の童謡が聴けたのは郷愁を誘われるものであった。
いただいた小冊子によれば、第二次世界大戦中は北白川宮が疎開された。平成9年5月に国の登録有形文化財になり、平成10年12月に田中逸策氏より勝沼町に寄贈されたとある。現在は街道を歩く人々の無料休憩所として、ボランティアの方が建物の説明とお茶のサービスを行ってくれる。
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この辺りから、葡萄棚を配した家が多く見られ、ワイナリーも何軒か見掛けられた。特に有名なのが白百合醸造で、工場見学もできるが、今日は先を急ぐ旅で樽や自動車の廃材で作ったロボットのモニュメントを見ながら通り過ぎて行く。
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時間の経過を気にしながら暑い陽射しの中を石和に向って歩き続ける。白百合醸造から2.5Kmほど進んで日川橋を渡り、さらに、2Kmほど川に沿って進む。日川は途中で合流して笛吹川となるが、笛吹川を渡ると、川の堤防に沿ってしばらくは松並木となったところを進む。松並木を過ぎると、笛吹権三郎之像があり、ここで笛吹川と別れ、石和温泉の市街に向うことになる。
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市街への道を進んでいると、「テアトル石和」という昔懐かしい感じの映画館があり、2本立てで日本映画を上映していた。
そして、国道に合流したところに遠妙寺(おんみょうじ)がある。仁王門を備えた寺は珍しい。ずいぶん立派な仁王門だと思っていたら市指定文化財であった。また、この遠妙寺は、謡曲の「鵜飼」発祥で有名とのこと。

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少し進むと、石和本陣跡があった。本陣跡は駐車場となってしまっていたが、蔵が1つだけ残っているのが見受けられた。国道の向こう側には石和小林公園がある。30際のとき富国徴兵保険相互会社(現富国生命)の第一部長、44歳で社長、52歳の時に日本開発銀行初代総裁。その後東南アジア移動大使、インドネシア賠償交渉日本政府代表、アラビア石油社長、海外技術協力事業団初代会長、財政制度審議会会長、外資審議会会長を歴任し、勲一等旭日大綬章を賜った石和の英雄、小林中(あたる)の屋敷跡である。
等身大の銅像の他、足湯があり女性が数人楽しんでいた。
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ようやく、石和温泉駅入口の交差点に着いた。久しぶりの長距離歩行で疲労がつのってふらふらである。ここから、駅までは800mほどだが、無限の遠さに感じられた。それでも午後5時30分に石和駅に着き運よく直ぐの電車に乗ることができた。

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Posted at 11:23 | Category: 中山道 | 2 Comments